掲載元:note(2019年3月20日) https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n55db8c9f14c2?magazine_key=m0e09afcfe2eb
【vol.007】 第2節:「〜文字以内で要約せよ」のコツ
要約のコツ
さて、気を取り直して今日も授業を始めていきましょう。 よく現代文の要約で、「〜字以内で要約せよ」という字数制限がありますよね。この節ではその要約の字数制限について考えたいと思います。 前章で、朝来市に寄稿したコラムを紹介しました。 コレです。
自分らしさを奪う「条件付きの愛」 ●「条件付きの愛」とは 長男がまだ4歳くらいの頃、私は彼に優秀な人間に育ってほしいという思いが強く、ゲーム感覚で算盤を教えていました。しかしすっかり父親側に熱が入ってしまい、「なんでこんな簡単なことがわからんねん!」と声を荒げたことがありました。おどおどと不安そうな表情をしていた長男の顔を今でも覚えています。やっちまいました。これは「条件付きの愛」です。 「条件付きの愛」とは、 「成績が良いあなたは好き」 「みんなと仲良くできない子はダメだ」 など、親が定めた条件をクリアしたときだけ認める関わりを言います。「条件付きの愛」を押し付けると、子どもは過剰に親の目を気にして萎縮しがちです。 例えば子供に「テストが悪かった」と打ち明けられた時に、「だから勉強しなさいって言ったのに!」と叱ってしまうと、子どもは 「次また悪い点を取ったらもう見捨てられるんかな。。」 と自分が学びたいから勉強するではなく、親の機嫌を取るために勉強しようとしますが、そのような精神状態では力を発揮するのは困難です。 立派な人間に育って欲しいという親の期待はあって自然ですが、親が過剰に理想を求めることは、子どもには大きなプレッシャーとなり、本人らしからぬ不本意な言動を招いてしまうこともあるのです。 ●期待値未満の時こそ、自己肯定感を育むチャンス 子どもの努力が実らず、親の理想通りにならなかったとしても、決して非難せず、まずは頑張ったことを認めてあげることが大切です。そうすれば、「期待通りにできなかった自分でも認めてもらえるんだ!」と、自己肯定感が育まれ、不都合なことでも打ち明けやすくなるのです。 つまり、親の期待値未満の時こそ、自己肯定感を育み社会に出てからも自分らしく立ち振る舞う礎を築くチャンスなのです。 自分好みの条件を付けて子どもたちを「愛して」いた私は、そんな過去を挽回すべく、「お父さんは好きなようにしてる。お前らだって好きなように生きる権利があるからな!」と、飲み過ぎを指摘された時はいつも熱く語ります。 (兵庫県朝来市広報誌2018年10月号より)
今回は、本文で840字あるこのコラムを、最終的に100字以内に要約しようと思います。 まず最初に、前章でもやった「抽象度高い」「抽象度中くらい」「抽象度低い」の分類を活用してみましょう。 コレです。
「条件付きの愛」とは、 親が定めた条件をクリアしたときだけ認める関わりを言います。「条件付きの愛」を押し付けると、子どもは過剰に親の目を気にして萎縮しがちです。 自分が学びたいから勉強するではなく、親の機嫌を取るために勉強しようとしますが、そのような精神状態では力を発揮するのは困難です。 立派な人間に育って欲しいという親の期待はあって自然ですが、親が過剰に理想を求めることは、子どもには大きなプレッシャーとなり、本人らしからぬ不本意な言動を招いてしまうこともあるのです。 子どもの努力が実らず、親の理想通りにならなかったとしても、決して非難せず、まずは頑張ったことを認めてあげることが大切です。そうすれば、 自己肯定感が育まれ、不都合なことでも打ち明けられやすくなるのです。 つまり、親の期待値未満の時こそ、自己肯定感を育み社会に出てからも自分らしく立ち振る舞う礎を築くチャンスなのです。
「条件付きの愛」とは、 親が定めた条件をクリアしたときだけ認める関わりを言います。「条件付きの愛」を押し付けると、子どもは過剰に親の目を気にして萎縮しがちです。 立派な人間に育って欲しいという親の期待はあって自然ですが、親が過剰に理想を求めることは、子どもには大きなプレッシャーとなり、本人らしからぬ不本意な言動を招いてしまうこともあるのです。 つまり、親の期待値未満の時こそ、自己肯定感を育み社会に出てからも自分らしく立ち振る舞う礎を築くチャンスなのです。
親が定めた条件をクリアしたときだけ認めると、子どもは過剰に親の目を気にして萎縮しがち。子どもの言動が親の期待値未満の時こそ、自己肯定感を育み、社会に出てから自分らしく立ち振る舞う礎を築くチャンスです。
要約ができたら読解できたも同然
昨日のJDの話
「厳しさに耐えて甘えないヤツが自立するのではない。甘えていい時に十分甘えたヤツが自立するのだ。」 「自立したければ甘えられる存在を見つけろ。」
「俺だってな、俺の気持ちを受け止めて甘やかせてくれる妻がおるから、農家民宿を始めよう!って新たな挑戦ができるわけよ。これが受け止めてくれる人がおらんかったら、失敗してコケた時のケガが治らんのよ。」 「アメリカの戦闘機だって、空母キティホークという戻る場があるから飛び立っていけるんちゃうか。戻ってくる場所。母なる存在。戦艦に『空母』と『母』がつく所以かしらね。」
こんな具合で。抽象概念はこうやって具体と抽象を行き来することでしか理解できないですから。 しかし、彼女にとって初めてのこの考え方は、 「え!人の心理ってそんな仕組みになってるの!?」 と衝撃が大きかったようで、2時間では腹落ちには至りませんでした。全力を出したけど結果がついてこなかった。まぁ仕方ない。 気を取り直して我々はその後、私の妻子も合流して飲みに行きました。そして妻に、この「甘えん坊ほど自立する法則」をJDは2時間では理解しきれなかったんだという話をする際に、
「かなり濃密な話やったからなぁ。2時間で俺がカルピスの原液を1リットルも飲ませてしまった感じ。そら消化不良になるわ。」
と例えると、「そんな卑猥な例えはやめなさい」と笑いながら諭されました。 うーん、まぁ私が卑猥なのか、妻が卑猥なのかわかりませんが😝(笑)。 例え話は抽象概念を理解してもらうための手段なわけですが、例え方を間違えるとこういうエラーも出てきます。気をつけましょう。 ちなみにそのJDはそのまま私の自宅に泊まり、今朝になって一人で
「厳しさに耐えて甘えないヤツが自立するのではない。甘えていい時に十分甘えたヤツが自立するのだ。」 「自立したければ甘えられる存在を見つけろ。」
という言葉の意味を、自分の過去と擦り合わせながら考えてみたようです。私の話を聴きながらでは理解できなかったから、ちゃんと自分の頭で考える時間を作ったんですね。そうやって内観して、心当たりがあったんでしょう、先ほど「ようやく腹落ちしました」と伝えてくれました。えらいね、JD。時間をかけてでも本質を掴んでいくと、将来大化けするからね。それが抽象思考のすごいところよ! ご意見・ご質問等ございましたら、noteのコメント欄にコメント入れていただくか、抽象思考オタクのツイッターアカウントを作ったので、こちらまでご連絡ください。最近までSNSは主にfacebookしかしてなかったんですが、最近始めたこのnoteとtwitterでも徐々にフォローされるようになって、なんか新しい世界が見えてきたみたい。facebookのしがらみだらけの投稿にうんざりしていたので、note、twitterの開放感はたまんないや。おじさん、がんばる。