※この記事は「人生を前向きに歩んでいくための心の土台づくり」と題して、前ぴょんが朝来市広報誌2018年8月号〜2019年3月号までシリーズで寄稿しているコラムの12月号分です。
広報誌のウェブサイト版はこちら
===
- 「常識への囚われ」
学生時代、私のかっこいいダメージジーンズを見つけた母は、そこに活躍の場を見いだしたのでしょうか。丁寧に縫い合わせ、穴をふさいでくれました。「おかん!これやとかえって貧相なジーンズに見えるっちゅうねん!(苦笑)」
親子でも30歳も離れるとお互いが持っている「常識」は違うんだなーと感じたものですが、そんな常識を親が子どもに一方的に押し付けてしまうと、子どもは気持ちを受け止めてもらえず自己肯定感が下がりやすくなります。さらにわれわれが盲目的に受け入れている「常識」の中には、実はわれわれの自己肯定感を下げる危険性をはらんでいるものもあるので、それらに囚われないように私は気をつけています。
例えば子どもに「部活動に専念したいから習い事を辞めたい」と相談されて、「両立できるよう頑張れ。石の上にも三年!」とつっぱねたとしましょう。気持ちを受け止めてもらえず自己肯定感が下がるだけでなく、それに囚われ将来仕事で厳しい労働を要求されても「石の上にも三年」と頑張り、心身の健康を害するかもしれません。辞めずにやり抜く力を養うのは大切ですが、時には辞める勇気を育むことも大切だと思います。
「男だったら泣くな」という常識も同じで、つらい気持ちを言いだせず、人に甘えたり助けてもらったりできないまま大人になるかもしれません。そんなの寂しい。男でも泣いたっていいじゃない!私なんて、今でも悔しいことがあれば妻に泣きついています(笑)。
物理学者として有名なアインシュタインが「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」という格言を残しているように、「大人が盲目的に受け入れている常識」が「偏見」である可能性を否定できません。だから私は人にそれらを押し付けまいと気をつけていますが、それはそれで「あいつには常識が通用しないから・・・」なんて言われることも(笑)。
次回は、「子どもの成長を妨げる過保護な関わり」について考えてみたいと思います。
朝来市広報誌2018年12月号