所長の研究日誌

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NPO法人他力本願研究所 所長
前川進介

物事の考え方や捉え方、人の感情のあれやこれやについて自由に書きまーす

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2018年8月

元うつの前ぴょんから見た、この国の矛盾(学校教育編)

こんにちは、前ぴょんでーす。

朝晩涼しくなって過ごしやすくなったこの季節、学校ではそろそろ新学期が始まりますね。

巷では嫌だったら学校に行かなくていいよ、いやいや行くべきでしょ、などと、いろんな議論がなされていますが、新学期に限らず、私は行きたかったら行ったらいいし、行きたくなかったら気軽に休んでしまえばいいのに、と思っています。それにはそれなりの理由があるので、今回はそれを書いてみようかな、と。

私は自分自身が鬱になった経験から、学校教育の在り方にこの国の闇が潜んでいるんじゃないかと感じるようになったんですが、その中でも最も憂いていることの一つに、「独裁主義」「共産主義」による洗脳があります。なんか言い方がキツくなっちゃうけど。

日本って一応、政治は「民主主義」で運営されていて、経済は「資本主義」で回っているじゃないですか。ところが、その国の教育機関が、民主主義と資本主義の真逆の、独裁主義と共産主義の思想を持っているように見えるんですね。

「他力本願」な生き方、在り方

2018年、私たちは「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げました。

今回はこの「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げるまでの経緯やその根底にある思いなどについて触れたいと思います。

 

まず、前提のお話から。
この「他力本願」とは、元来は「他人の力を利用して事を成すこと」を意味しているわけではありません。それは世に蔓延している誤用です。
(※2019年3月11日追記※ しかしもはや誤用が定着し、辞書にも「自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。」と記載されるようになりました。)

私もこの言葉の元来の意味は最近知ったのですが、元は仏教用語で、死ぬ間際でもいいから「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば阿弥陀仏によって救済される(≒極楽浄土に連れて行ってもらえる?)という、浄土真宗の教義根幹に関わる教えのようです。

「のようです」と伝聞にしているのは、私は無宗教で、浄土真宗のことも詳しくは知らないから。だけど、そんな私でもこの「他力本願」という言葉の意味を知った時には、なんて素敵な捉え方なんだ、と思ったのと同時に、何か肩の力が抜けた感覚を得ました。