一般的でなくて細かいから分かってもらえない
この1,2年、私は「分かってほしいのに、分かってもらえなくて寂しい」という悩みを持っていました。私は寂しがりやなんで、分かって欲しいという気持ちが人一倍強いんだと思います。だからより分かりやすい説明を心がけているんですが、それでも分かってもらえないことが多いんですね。特に市役所には、なかなか理解してもらえません。今日も窓口で、、(割愛)
その一因は、私の言動があまり一般的でないことだと考えています。一般的でないので、「常識」や「前例踏襲」を判断基準に持っている人からは私の言動はまず理解してもらえません。例えば、以前に学校に行ったら社会不適合者になるという旨のブログを書きましたが(そこまでは書いてないかw)、こういうことを書いて理解してくれる人はごく一部です。
また、「細かい」という点も一因だと思います。細かさは理解の必要条件だと考えているので、物事や相手のことを理解しようと思うと、どうしても細かい男になってしまいます。
例えば以前通っていたカウンセラー養成講座のロールプレイングの際に、カウンセラー役にこの「分かってもらえない寂しさ」を打ち明けてみると、「前川さんは、周りの人の意見が自分の意見と違うから腹立たしいんですね」と、原因も結果も間違った応答をされることがしばしばあって、打ち明けて余計にストレスが溜まったことがありました。
私は私が発する内容を人に理解してもらえなくて寂しい思いをしているだけであって、人と意見が同じでないことに腹立たしさを感じているわけではありません。理解したうえで、私はあなたとは違う考えだ、という人たちとはたいてい分かり合えるので仲良くやれます。仲良くなれないのは、私の意見を理解もせずに、あいつはおかしなことを言うやつだ、とレッテルを貼る人たちです。理解力の欠如は、偏見や差別を助長するんですよ、ほんと。
ね、細かいでしょ。。
さてさて、そんなわけで私は「分かってもらえない寂しさ」を持ち合わせて生きてきたんですが、先日、そんな寂しさから卒業しようかな、と思わされる出来事が2日連続でありました。