一般的でなくて細かいから分かってもらえない
この1,2年、私は「分かってほしいのに、分かってもらえなくて寂しい」という悩みを持っていました。私は寂しがりやなんで、分かって欲しいという気持ちが人一倍強いんだと思います。だからより分かりやすい説明を心がけているんですが、それでも分かってもらえないことが多いんですね。特に市役所には、なかなか理解してもらえません。今日も窓口で、、(割愛)
その一因は、私の言動があまり一般的でないことだと考えています。一般的でないので、「常識」や「前例踏襲」を判断基準に持っている人からは私の言動はまず理解してもらえません。例えば、以前に学校に行ったら社会不適合者になるという旨のブログを書きましたが(そこまでは書いてないかw)、こういうことを書いて理解してくれる人はごく一部です。
また、「細かい」という点も一因だと思います。細かさは理解の必要条件だと考えているので、物事や相手のことを理解しようと思うと、どうしても細かい男になってしまいます。
例えば以前通っていたカウンセラー養成講座のロールプレイングの際に、カウンセラー役にこの「分かってもらえない寂しさ」を打ち明けてみると、「前川さんは、周りの人の意見が自分の意見と違うから腹立たしいんですね」と、原因も結果も間違った応答をされることがしばしばあって、打ち明けて余計にストレスが溜まったことがありました。
私は私が発する内容を人に理解してもらえなくて寂しい思いをしているだけであって、人と意見が同じでないことに腹立たしさを感じているわけではありません。理解したうえで、私はあなたとは違う考えだ、という人たちとはたいてい分かり合えるので仲良くやれます。仲良くなれないのは、私の意見を理解もせずに、あいつはおかしなことを言うやつだ、とレッテルを貼る人たちです。理解力の欠如は、偏見や差別を助長するんですよ、ほんと。
ね、細かいでしょ。。
さてさて、そんなわけで私は「分かってもらえない寂しさ」を持ち合わせて生きてきたんですが、先日、そんな寂しさから卒業しようかな、と思わされる出来事が2日連続でありました。
「熱中しとったらね、寂しいなんて思わんのですわ」Aさん(80歳男性)
始まりは80歳の男性との飲み会でした。そうですね、ここではAさんとしましょう。Aさんとの出会いは4年ほど前かな?買い取った空き家の一角に「みんなの家カフェ」というカフェを開いて飲食事業を始めた頃に、ふらーっとお店に現れて
「誰や、こんな奥まったところにカフェなんかやろうと考えた人は。」
「え、あ、私ですけど?」
「そうか、あんた、おかしな人やろ。おかしな人に違いないわ。今日はそんなおかしな人に会いにきたんや。」
「あ、それは光栄です(笑)」
「せやけどこの部屋には絵があった方がええな。あとピアノもあった方がええわ。」
「え、絵?ピアノ?」
「そうや、絵とピアノや。私が持ってくるから、ここに置いたらよろしいわ。」
「へ?」
そんな調子で、初対面の私を相手にトントン拍子で絵とピアノの導入を勧め、実際に運び込まれました。今「みんなの家カフェ」は店主が替わって「手打ち蕎麦 木琴」になっているわけですが、絵とピアノはそのまま置いてあります。おかげさまで、「木琴」の音楽イベントではピアノが大活躍。この空間には無くてはならない存在になっています。
そんなAさんが先の年末に「木琴」にお蕎麦を食べにいらしていて、今度一緒に飲みに行こうという運びになり、副所長のハルと3人で飲みに行くことになったのです。
指定されたお寿司屋さんに行くと、身なり格好がジェントルマンなAさんが現れました。そうそう、Aさんっておしゃれなんですよ。聞けば毎月神戸の百貨店に通われてるみたいで、ジャージ姿で寿司にがっつく私とは対極的でした(笑)
その夜は、お互いたくさん語り合いました。Aさんは決して押し付けるスタンスじゃないから我々若造も話しやすく、芋焼酎の勢いもあって件の「寂しい」という私の悩みを打ち明けることにしました。
「私は一般的でないから周囲の人に理解されないことが多くて寂しい思いをしてるんですけど、Aさんもそんなことありません?だって、Aさんって、だいぶん変な人やから、もしかしたら同じような悩みがあるんちゃうかと思って。」
と聞いてみると、
「あはは、私は寂しいなんて思ってないですよ。あのね、仕事もそうやけど仕事以外にも熱中することを持ったらよろしいんです。熱中しとったらね、寂しいなんて思わんのですわ。」
あ・・・、そうか(笑)
事実、Aさんは会社経営を引退してから絵を描き始められ、その絵が売れ、今年は個展を開くまでになられています。それだけ没頭していたら、確かに寂しいなんて感じる暇はないか。
つまり、寂しいのは自分を理解してくれない周囲の人たちに原因があるのではなくって、自分の内側に寂しさを感じるだけの余白を作っていることに原因があったんですね。そんな重要なことに気づかされました。
そして、Aさんはなぜか私の妻のことを絶賛されるんですが(見る目あるね!w)、奥さんと分かり合えるならそれでいいじゃないか、ともおっしゃいました。それもそう。私は世の中の大半の方に理解されないだろうけど、妻には理解してもらえているので、それがどれだけ救いになっていることか。
考えてみれば、妻以外にも、一部のマイノリティの方々とはお互いたいへん深く理解し合っていると実感できているので、常識的なマジョリティに理解されなくてもいいじゃないか、とも思えるんですよね。
だけど、暇だったんでしょう。暇すぎて、寂しさを感じるだけの余白を生んでしまっていたんだと思います。
「facebookの投稿なんて排泄行為」菊ちゃん(30代女性)
Aさんとの飲み会の翌日は、東京で経営塾の同期会(新年会)がありました。この経営塾に通いだした頃はまだ鬱が抜けきっていなかったので、サロンから見える東京タワーを見るたびに、あの灰色の時代を懐かしく思い出します。
今回はそんな塾生の皆さんに丹波の味覚を堪能してもらおうと、「かつべえ」でご準備いただいた猪肉をリュックに背負い、JALでお上りさんをしてきました。一般的に猪肉って臭みがあるから味噌の味付けで食べる「牡丹鍋」が主流ですけど、「かつべえ」の猪肉は臭みがないからしゃぶしゃぶでもいけるんです。これは美味いと好評で、久しぶりの面々との話も弾みました。
その中の一人に、同期の菊ちゃんがいます。菊ちゃんは2児の母で、会社を経営しながら、絵を描いたりバンド組んでライブやったりで、私からすると自己表現の神です。お、ここまで書いて気がつきました。経営、絵、音楽って、Aさんと共通していますね。
また西日本在住の菊ちゃんは自分と籍を共にする家族以外にも、もう一つ東京にも同性との家庭を築くという、まぁ、一般的ではない生き方をされています(私はそういうの好きですけどね)。
そこでまた私の疑問。理解されなくて寂しい思いはしないのか。自分のことを分かってほしいという欲求はないのか。自己表現はそのためにやっているのか。
尋ねてみると、答えはNOでした。分かってもらいたいとは思わない。降りてきたものを出すだけだと。facebookの投稿なんて排泄行為みたいなものだ、とも。そして旦那さんにはよく理解されているということも付け加えておられました。
Aさんも菊ちゃんも本質的に同じようなことをおっしゃる
菊ちゃんの話を聞いて、前日のAさんと同じようなことを言われた気がしました。
・自分が熱中していることに没頭し、アウトプットする
・身近な人に十分に理解されていれば、他者に分かってもらえなくても構わない
まとめるとこんな感じ。そして両者とも楽しそう。
私が分かってもらえなくて寂しい思いをしているのは、やっぱり暇してるからなんだろうな。だけどじゃぁ熱中する何かを探そう!という短絡的なモチベーションには違和感を覚えるので、排泄するかの如くスルスルと生み出される何かとの出会いを、寂しさを感じながら待つことにします。
あ、そう言えば新年会の日に羽田行きの飛行機に乗る際に、伊丹空港内で30代とおぼしきカップルが、人目をはばからずチューしていたんです。
別れを惜しんでいたんでしょうかね。目のやり場に困ったんですが、
・自分が熱中していること(恋愛)に没頭し、アウトプット(チュー)する
・身近な人(恋愛相手)に十分に理解されていれば、他者(ボクたち空港利用者)に分かってもらえなくても構わない
という心理状態だったと考えると、それ、俺が目指しているところじゃんか?