2018年、私たちは「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げました。

今回はこの「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げるまでの経緯やその根底にある思いなどについて触れたいと思います。

 

まず、前提のお話から。
この「他力本願」とは、元来は「他人の力を利用して事を成すこと」を意味しているわけではありません。それは世に蔓延している誤用です。
(※2019年3月11日追記※ しかしもはや誤用が定着し、辞書にも「自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。」と記載されるようになりました。)

私もこの言葉の元来の意味は最近知ったのですが、元は仏教用語で、死ぬ間際でもいいから「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば阿弥陀仏によって救済される(≒極楽浄土に連れて行ってもらえる?)という、浄土真宗の教義根幹に関わる教えのようです。

「のようです」と伝聞にしているのは、私は無宗教で、浄土真宗のことも詳しくは知らないから。だけど、そんな私でもこの「他力本願」という言葉の意味を知った時には、なんて素敵な捉え方なんだ、と思ったのと同時に、何か肩の力が抜けた感覚を得ました。

「他力本願」の対極にある意味は「自力本願(?)(こんな言葉はありませんが……)」で、自らの修行の功徳によって悟りを得ること。その考えもまた立派だと思いますが、「自力本願」で事を成そうとする人は、「自力本願」でやりきった時には「自分の力で成功したんだ!」と思い込みやすく、他者に対して感謝の念が薄れがちになると感じています。またこの「自力本願」の「自己責任」とも言える感覚が強すぎると、結果が芳しくなかった時には「全部自分のせいだ」と感じて、時として心が折れてしまうこともあるでしょう。

 

そう、この「自力本願」は、まさにそれまでの私の生き方そのものでした。

成功すれば自分のおかげだと傲慢になっていました。
失敗が重なり過度に落ち込み鬱になりました。

そしてその思想は自分の中に留めておくのではなく、周囲の人にも強制していました。部下や家族にまで、成長のためには苦手なことでも頼ってばかりではなく自分でやりきれ!と迫り、私のその「自力本願」の押し付けに耐えられなくなった多くの人が離れていきました。

そうして「前川は厳しすぎる」という、黒っぽい評判が流れだしました。そして終いには、私が参加してもない地域イベントで、会場で前川がひどいことをしていたと、事実無根の噂まで言われることもありました。黒い噂は拡がるのが早く、そして内容の劣化も激しいもんなんだな、と感じたものです。

そうして「前川進介」のイメージが一人歩きした結果を身から出た錆と受け入れつつも、事実と異なることまで言われることには異を唱えていました。その頃は自他ともに赦すことが難しく、そして事態が好転していくこともない、悶々とした日々でした。

 

そんな時に出会った言葉が、この「他力本願」。自力で頑張っていた私にとって、「最後に『南無阿弥陀仏』と唱えさえすれば救済されるや〜ん」という緩さがまず衝撃的でした(受け止め方が緩過ぎたかな?)。

続いて、この考え方は、自分一人ではどうしようもできない領域があるんやからしゃーないやん、という前提の上に成り立っているのではないかと考えるに至りました。つまり人は自力で頑張っている側面もあるけれど、一方で自分の主導権の無い領域の出来事は他者が成してくれた土台の上で「生かされている」。それであれば、自分が主導権を持てる領域のことに責任を持ちつつも、「生かされている」ことを謙虚に受け止め、周囲に感謝しながら生きて行くことが、自分にとってベターな在り方なんじゃなかろうかと考えました。

「ほんじゃ、自分一人で全部抱え込まんでもええか。
どうせ自分一人でできることなんかしれてるし。
相手を責めても何も変わらんしな。
それより人に感謝しながら生きてる方が、結果的にラクに成果を上げられるんちゃうか。」

そんな気がして、肩の力が抜けました。

こうして、「自力本願」に傾いていた自分を「他力本願」にシフトする中で、自分の内面では、

・自分を責め立てず、赦すようになった
・他者に対しても同様に、赦すようになった
・さらに他者には感謝することが増えた
・「結果」が気にならなくなり、「過程」を楽しむようになった

などの変化が起こりました。総じて、ストレスが減りました。そりゃもちろん、今でも腹が立つこともありますが、以前に比べたら格段に減ったように思います。

 

また、「自力本願」を押し付けることもなくなり、対人関係が良好なものになっていきました。

「あれ?前川ってこんな人間やったっけ?」

と周囲の人たちも言い出しました。いえいえ、以前は違いましたよ。もっと尖ってました。丸くなりました。

黒かった私の評判は、私と再会した要所要所(要人要人)で白くなり、その人たちからの噂で、周囲の人たちもオセロのように黒から白にひっくり返っていけばいいのに(笑)

 

私の中でそんな変化があったから、今、「自力本願」で頑張り過ぎている人たちに、「他力本願」な生き方、在り方をお伝えしたく、この会社を立ち上げました。

NPO法人 他力本願研究所

この法人名を伝えると、たいていの人が「え?!」という反応をされます。

「他人任せを研究してんのかよ!バカげてる!」
「怪しいNPOだよねー。そもそもNPOっていうだけで怪しいのにー(笑)」
「前川らしいふざけた名前だな!」

と、まだこの法人でどんな事業を行うのかを伝える前から、「他力本願」なイメージとともに社名だけが彼らの頭の中で一人歩きしていたようです。もしかしたら、そこから誤解の輪が広がるかもしれません。

ありがたいことです。

名前で誤解され、こいつらアホとちゃうか、と、まずは黒で拡げてもらっといて、そのうち元の意味を知る人が、周囲をどんどん白にひっくり返してくれたら嬉しいなぁ(他力本願)。