掲載元:note(2019年3月23日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n1cad683d4408?magazine_key=m0e09afcfe2eb

 

【vol.010】 第1節:本質理解を邪魔する具体の印象強さ

 

 

こんにちは。まえぴょんです。

 

 

昨夜は姫路のとある高校教員と来年度の授業の打ち合わせを行い、その後は彼のお宅に家族でお泊まりでした。そうそう、彼とは家族ぐるみで仲が良いので、昨日は妻と娘も連れて行ったのですが、その娘が夜に体調を悪化させてしまい、40℃の熱が出て救急で病院に。不幸中の幸いで、ただの風邪だろうという診断でした。今朝には平熱まで下がってきたので、胸をなでおろしたところです。

 

って、なんか私が病院に連れて行ったようなことを書いていますが、実は

私は酔いつぶれていて起こそうとしても起きなかったらしいです。で、結局友人夫婦と妻が娘を助けてくれたようです。ほんと、ありがとう。

 

そんな私のことを、妻は「役に立たなかった」と言いました。確かにその通りです。失礼しました。一方でお世話してくれた友人曰く、

 

「前川さんは動じなかったですね」

 

日本語のチョイスがステキ(笑)

 

しかし起こそうとしても起きないって問題やな。でも酒を飲まない夜なんて考えられへんし。うーん。。ひとまず反省している空気感を醸成すべく、帰宅してから食器を洗ったりお茶を作ったりしておきました。

 

 

 

さて、気を取り直して(もっと反省しとけw)、今日からは

 

第4章:心理学の観点を活かした文章の読み方

 

に入ります。

 

国語で心理学?と思われるかもしれませんが、我々が心を持った人間である以上、何をするにしても「心理学」という観点が必要になってくると私は考えていて、この「心理学」という観点が抜け落ちた理論はいずれほころびが生じてきます。

 

いくら理想論を語られても、人間なんだから気持ちがあるわけで、理想通りにできないことが多々あるじゃないですか。そんな人の気持ちを考慮しない勉強法なんて机上の空論だし、そんなもんを押し付けんじゃねーよ、って思います。人が関わる以上、その人の気持ちを考えないと。

 

 

 

第1節はこれ

 

本質理解を邪魔する具体の印象強さ

 

第2章で、要約とは具体から抽象化して重要な共通点をまとめることだと書きました。それを木に例えると、枝葉の具体をふるい落として根幹だけを残すこと。身体に例えると、肉の具体を削ぎ落として骨格だけにすること。こうした抽象化によって重要な共通点が浮き彫りになっていくのが要約でした。

 

それだけ聞くと、意外とカンタンなんじゃないかと思われるかもしれません。ま、確かに慣れるととてもカンタンです。その時にも書きましたが、まるでクイズのようです。

 

だけど、世の中にはそれが難しいという人が大勢います。そしてそこには大きく二つの要因があるように私は考えています。

 

 

一つは、抽象思考の「技術面の問題」です。具体の共通点から抽象度を上げて一言でまとめるという技術は、語彙力も必要ですし、一朝一夕では身につきません。これをクリアするためには、日常から抽象思考に取り組む習慣と、その抽象化が成功しているのかどうかを適切にジャッジしてくれる人の存在が大切だと思います。

 

 

そして抽象思考を妨げるもう一つの要因は、具体の印象強さに心奪われ、抽象思考を始めることすらできなくなる「精神面の問題」です。

 

先の

「この3日間は運が良いことがあった。」

①一昨日はお金を拾った。
②昨日はアイスのアタリが当たった。
③今日は落し物を見つけてもらった。

 

の事例において、とにかくお金が大切だと思っている人が、

 

 

 

「一昨日にお金を拾うほど運が良かった!」

 

とまとめてしまうあのパターンです。もう気持ちが具体的な「お金」に向いちゃって、思考が抽象方向に向かわなくなります。

 

 

 

また、これも前述した兵庫県朝来市広報誌2018年10月号に寄稿したコラムですが、【vol.004】では全文の抽象度分けをしました。

 

 

その中で、この最も右側の具体にある

「みんなと仲良くできない子はダメだ」
「テストが悪かった」
「だから勉強しなさいって言ったのに!」
「次また悪い点を取ったらもう見捨てられるんかな。。」

 

などの具体はどれも印象強く、その場をリアルにイメージしやすいという側面がありますよね。その具体の印象強さやイメージのしやすさに心が奪われ、

 

「あの時は友達と仲良くやれなかったな。辛かったわ。」
「昨日も勉強しなさいっておかんに言われたばっかりやで。イヤやわ〜。」

 

のように主観的になって気持ちが具体に寄っていってしまうと、根幹を成す抽象が見えてこないんですね。そうなるといつまでも要約ができない、本質を掴めない。文章を読んでも読解できない。だから当然ながら現代文の点数も低い。そうなっちゃうんです。

 

 

点数だけの話ではありません。例えば尾崎豊の「卒業」という曲に関して、

 

「尾崎豊の『卒業』って曲、知ってる?」

 

と問うと、たいてい

「あー、あの窓ガラス壊して回ったやつやろ?」

という返事が返ってきます。そうなんです、確かに窓ガラスを壊して回ったやつなんですが、あの歌詞で言いたいのは

 

「夜の校舎窓ガラス壊して回った」

 

ことではなく、

「支配からの卒業」

 

なんです。

 

「夜の校舎窓ガラスを壊して回った」のは、「支配からの卒業」を伝えるための具体にすぎないのです。しかしながら、「夜の校舎窓ガラス壊して回った」という超印象強いフレーズに心奪われて、彼が本当に言いたかったことであろう「支配からの卒業」が霞んでインプットされてしまうんですよね。(例えが古すぎたかしら。。)

 

また具体の印象強さに心が持って行かれてしまうと、自分が言いたいことが何なのかさえよくわからなくなります。言いたいことって抽象なのに、具体の印象強さに心奪われて抽象度が上がらないから、お前は結局何が言いたいねん状態に陥ります。そのようなマインドでは日常生活においてもコミュニケーショントラブルが増えてしまうんですよ。

 

だから、まずは文章や人の話を冷静に、客観的に捉えるマインドセットが重要です。そこに主観が入ってくると、どうでもいい具体に引っ張られて本筋を見誤ります。

 

 

いいですか、具体は全体の中ではそんなに重要ではない枝葉です。そんな枝葉に心を奪われないように気をつけてください。

 

ちなみに、何か実際にアクションをする際には具体は大事ですよ。アクションは具体なんで。ただ、全体理解においては、「具体なんてどうでもええわ!」くらいの心構えでいましょう。

 

 

 

以上をまとめると、要約には抽象思考の技術が必要ですが、それ以前にまずは具体の印象強さに振り回されないような精神の強さを持つことが大切だということですね。現代文で点数を稼ぎたければ、いや、豊かな人生を送るためには、今日から客観視の鬼となってください。

 

あ、言い方間違えた。客観視の鬼じゃないな。

 

主観と客観を使い分けるようにしてください。客観視して冷静に事実関係を整理しながらインプットして、そこに主観を交えてアウトプットするのは全然OKです。現代文の文章でも日常の会話でも、主観的にインプットしたらトラブル続きでロクなことありませんぜ。

 

 

 

はい、今日はここまでにします。

 

今夜は農家民宿に併設されている「手打ち蕎麦 木琴」の関係者の飲み会です。ここの蕎麦がたまらなく美味い!そしてオーナーの佐藤さんの抽象度の高い話が面白い!歳をとってもね、抽象度が高ければ「老害」とは無縁なんですよ。俺もそういう歳の重ね方したいなー。

 

 

では、何かご質問等ありましたらコメントかこのツイッターアカウントまでどうぞ。奥ゆかしい方が多いのか、私が相手にされていないのか、未だに連絡がきたことはありません(涙)何でも先行者利益っていうのがありますからね(あるかな?)、今がチャンスですよ!(何の?)

 

 

じゃあね!ばいばい!